曖昧REPO.blog

66歳、僕のこれかを、い〜い加減に楽しもう

『13歳からのアート思考』を読んで

もう少しで読了するが、面白いので先に感想文を書きたい。

ジャクソン・ポロックの作品で《ナンバー1A》は、何を表現しようとしているのかが面白かった。この世の中にカメラが登場して以来、アーチストたちは「アートしかできないことは何か」の答えを探求し、自分だけの答えを見つけ、実際に表現して見せた。

ジャクソン・ポロックはどんな答えを見つけ、見せようとしたのか。

末永幸歩さんは、『13歳からのアート思考』で面白い思考実験を行うことによって、ジャクソン・ポロック《ナンバー1A》でしようとした、ひとつの答えを導き出した。

その思考実験とは、「窓」と「床」を5秒間ほど見ること。そこで何が見えたのか。ちょっと狐につままれた気分になるが、そこに見えてきたことで、意外なことが分かってきた。

まず「床」を見る。フローリングだったら木目が見える。たかが5秒間だったが集中して見ると、表面に面白い形の木目があった。また、その表面には同じ模様がひとつとしてなく、今まで気付かなかったことが、不思議に思えた。

さて、「窓」はどうだろうか。「床」のようにまずガラスの表面が見えたのか?おそらく、視線は透明なガラスを通りすぎ向側にある風景が見えた。そして、その風景で様々な「イメージ」を思い浮かべた。

絵画はまさにこの「窓」に似ているそうだ。私たちはその絵を通して、そこに描き込まれている「イメージ」を見て、様々なことを想像する。

ところが、ポロック《ナンバー1A》は「窓」でない。「床」に似ている。絵は絵の具とキャンパスでできている。当たり前すぎるほど当たり前だが、ポロックの答えは、絵を「透明な窓」だと誰も疑わなかったというよりも、イメージにしか目を向けていないという事実に、気付かさせた。

つまり、ポロック《ナンバー1A》によって、アートは「なんらかのイメージを映し出すためのもの」という役割から解放させた。ポロックの「自分なりの答え」は、まさにカメラが登場して以来の命題だった「アートしかできないことは何か」という問いに対して、私たちの目を物質としての絵そのものに意識を向けさせようとした。

だから、人は「窓」を見るだけなく、「床」を見ることでも面白さを感じた。人はもっと豊かな感性をもっていることも同時に発見させた。

ポロック《ナンバー1A》の見え方がなんだか変わってきた。

末永幸歩著『13歳からのアート思考』の、CLASS 5 私たちの目には「なに」が見えている?
--「窓」から「床」へを僕なりにまとめてみた。

繰り返しになるが、この書籍では「アートしかできないことは何か」という問いに対して、

アンリ・マティス《緑のすじのあるマティス婦人の肖像画
パブロ・ピカソアビニョンの娘たち》
ワシリー・カンディンスキーコンポジションⅦ》
マルセル・デュシャン《Fountain》

アーチストたちが、どんな答えを見つけ、見せようとしたのか。
『13歳からのアート思考』は、様々な絵の見方のひとつとしての、答えを紹介している。

この書籍はホント面白い。再度読み直したい。

 

今月は、下半期の準備をしよう...

と思って、
コロナ禍の厳し時代に、生き残るためにはどうすればいいのか。個人事業主はそんなことばかり考えている。今も昔も一言でいうと「サバイバルすべし」。なかなか上手くいかないが、それでもギリギリセーフで何とか生き残った。たぶん、問題意識を持って、今できることをやることだと思っている。

2008年のころ、問題の解決方法は「収入の多角化
こんなビジュアルをつくったが、実はこんなふざけた絵をつくるような余裕はなかった。しかも達成することはなかった。ところが、なんとか工夫してギリギリで生き残った。どんなときも面白がることができれば、もしくはそんな振りをすれば、何とかなる。

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そして、2021年の今は、
「ファイティングポーズがとれれば」続く...
つまり、とても曖昧だがギリギリで何とか生き残れるだろう。
仕事はほぼレギュラーとなり、2008年ころの仕事ゼロに較べると深刻さは薄れた。ところが、2008年以前はそれこそ寝れないほど仕事があったが、2008年を境として全く変わってしまった。また、コロナ禍の時代ではそれこそ何が起きるか分からない。だから、これまでの経験や学習したことは、アイディアという頭の中の出来事だけにしないで、今の自分の能力で、できるだけ形にすることを考え実行すること。そして、面白がれればもっといい。

たとえば、最近、仕事のマッチングサイトでコンペに参加し、現状は2連敗。もしかすると、ビギナーズラックはあるかもしれないと思ったが、コンペはそんな簡単に勝てるわけがない。しかし、ラッキーなことにお負けが付いた。それは、テクニックと時短を具体的に知った。
コーポレートロゴを提案するとき、具体的な使用例がつくれればより分かりやすく、イメージは膨らみ、その提案はより優れて見えてくるから不思議だ。

会社の受付の壁に素晴らしく溶け込んだ、3Dのコーポレートロゴがキラリと輝く、画像合成(エフェクト)をつくる。制作に掛ける時間割を考えてみると、僕の現状の能力では、ロゴ制作よりも画像合成(エフェクト)に時間が掛かり過ぎる。つまり、本末転倒でしかも締め切りに間に合わない。ところが調べてみると、無料の3D Wall Logo MockUpがあった。ロゴを制限時間一杯でつくっても、このMockUpを活用すると1分も掛からず、精度の高い具体例(画像)ができる。

MockUpを紹介しているサイトの運営者は、意外とこのテクニックを知らない人が多く、また、時短の効用は単にスピードアップだけでないという。つまり、タイトな制作の制限時間内で、様々な制作工程を合理的で効率的な時間の再配分ができることだと説明した。

だから、もっとも時間を掛ける部分はアイディアをブラッシュアップしながら、実際の形にすること。そして、既存のアプリなどを活用しコンペの見せ方も工夫することだ。

何かを行うと反響というのか反射があり、2連敗したが、ラッキーなお負けが付いた。

 

最近ダーウィンの名言をよく聞く。

「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」
つまり、僕に焼き直すと、厳しい社会環境は、進化に方向性を与え、僕に「適応」と「スピード」を促す。

コンペに参加し分かったことは、優れた人はほんと工夫している。だからといって、感心してばかりいられない。

少なくと、「ファイティングポーズがとれれば」
とても曖昧だが、「サバイバルすべし」は何とかなりそうだ。

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だいぶ話を盛って書いた。

まずは、自分自身で実行したい(^_^)

 

現状の問題解決は、ストレッチを優先させる

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Tarzan「本当に効くストレッチ!」

1カ月間のストレッチ体験コース(有料)が修了した。これからは、好きな時間を選べる自宅トレを行うことにする。

そこで、記憶の端っこにあったが、小さな本棚を探すと古い雑誌が出てきた。その雑誌とは、Tarzan「本当に効くストレッチ!」(2014年発行)、同誌で「筋トレ+ラン=自宅トレ」(2012年発行)。ページを開くと付箋が貼ってあったり、蛍光ペンでラインが引いてあった。全く記憶になかったが、とにかく2冊を参考書にして始める。(余計な話だが、Tarzan糖質制限VSカロリー制限」2013年発行も出てきた)

昨日、「僕のメタ物語」に特化しようと書いたが、まずは「カラダが変わらなければ、ココロも変わらない。」やる気もでない。卓球の動画を見て観察することも難しい。だから、カラダを変えることによって、ココロも変わると信じ、ストレッチのジムに通った。

実は、コロナ禍で練習ができなく、筋肉は細くなり筋力も体力も弱った状態で試合に参加した。それから、カラダは痛むし体調も悪くなった。とにかく何かと疲れる。もう最悪で、体調を戻すためには、単純に筋トレが必要だと思い込む。

すぐ近くにトレーニングジムがあり、器具は筋トレ用に見える。その器具の使い方は逆といっていいのか分からないが、ストレッチのジムだった。思い切って、そのジムの体験コース(1カ月間・有料)に通い始め、コーチに現状の問題点を相談した。

「筋肉は細くなると、同時に硬くなる性質と
柔軟性に欠け、
様々な症状が起きる原因になる。
まずは、細くなった
筋肉をほぐすことから始め、
動けるカラダづくりを行うこと。」
つまり、僕の場合は
筋トレよりも
ストレッチを優先させる。
それから筋トレを始めても遅くなく、
むしろ有効に機能する。
とアドバイスがあった。

実際に1カ月間のストレッチで、カラダは随分回復し、不愉快な疲れもだいぶ改善してきた。

「僕のメタ物語」を実践するためには、前置きというのか長い滑走路がなければ、現実から離陸ができそうにない。
下半身がしっかりしないと、上半身は機能しないに似ている。

  

20記事目で考えたことは...

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3つテーマ

ポートフォリオを見ながら、13年前のことを思い出した。仕事ゼロ、当然売上げゼロ。あるのは時間だけ。そんな中で、ポートフォリオを何回もつくり直し営業活動を始めた。日記や文章を書く習慣は微塵もなかったが、やることがなかった。だから、ブログを一生懸命に書いた。

ポートフォリオでは4つテーマをつくり、その4つが、「新たな組み合わせであること」「身近であること」「世の中に貢献ができること」「人と繋がること」で制作物を整理整頓。既に廃版になった商品やプレゼンで通らなかったもあるが、とても懐かしい。今は仕事で使うことはなくなった。たまに同級生と会うことがある。そんな時に自己紹介がてら見てもらう。また、制作物を新しいものに差し替えることもある。

13年間続けていたブログは閉鎖・消去しようと思っていたが、僕の貴重な13年間の記憶なので、なんてもったいないことを考えたのだろう。早まらなくてほんとよかった。

そこで、そのブログは雑記ということで継続することにした。
また、曖昧REPO.blogは「僕のメタ物語」のテーマに特化しようかと考えている。ただし、かなり時間が掛かる。急いでもしょうがないので、のんびりと継続しよう。

20記事目で考えたことは、
焦らずに継続することだった。

 昨日は仕事が終わってから、深夜プライム・ビデオで海外ドラマを観た。いろいろなLoveがあって、ほんと面白かった。

モダン・ラブ ~今日もNYの街角で~
エピソード(8)
思いも寄らない人物との友情。失恋のやり直し。転換期を迎えた結婚生活。デートとは言えないかもしれないデート。型にはまらない形の家族。これらすべては、ニューヨーク・タイムズ紙の人気コラム「Modern Love」に実際に投稿されたエッセーに基づく、愛の喜びや苦悩についてのユニークな物語。

 

これまでのことの逆とは...Dappi?

昨日、コロナ禍という外圧を利用しきっかけに、これまでのことの逆をしようと考えた。つまり、少しでもこれまでの自分から脱皮しようとしているのか。こんなことがなければ、普通の心境では難しい。しかし、その結果はどうなるのか、ブログのタイトルのようにほんと曖昧だ。どんな状況でも少しずつ進むしかない。
それが、曖昧力という知恵の一つのようだ。

初めてのブログは、13年間書き続けたが役目を終え一休みすると書いた。だから、ブログはもう止めた。ところが、また初めてしまった。そのブログにも書いたが、日記の習慣は微塵もない。また文章を書くことは異常に疲れる。つまり嫌いなのだ。だから、13年間続いたのは不思議でしょうがない。

ブログを書き始めて丁度2年目で、「ブログのタイトル」をYahoo!で検索すると、約187,000,000件のトップになった。そして初めてから7年目、「ブログのタイトルの一部」をYahoo!Googleで検索すると、同時にトップになった。目標は部分的に叶ったが、本来の目的である「アフィリエイト」はそれからだと考えていた。ところが、やっとその頃から仕事が回復を始め、エネルギーの大半は仕事に集中。結果的にブログは日記帳になった。

5日前に、現在ほったらかしのブログのアクセス解析を見ると2,251アクセスがあった。その前日は19アクセス。4日前は17アクセス。不思議なアクセス数だ。

最初のブログを書き始めた頃、同時に営業用にポートフォリオもよくつくった。

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tomobポートフォリオ

その中で制作物を分類するために、
Dappiというテーマをつくりレイアウトした。

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Dappi

昨日、アフィリエイトではなく、何年ぶりだろうか仕事のマッチングサイトのプロジェクトに応募。まるで選挙公約のような売り込みの文章を書いた。当選するだろうか。あと1週間で結果が分かる。いい結果を待ちたい。

今日の結論は、まだDappiできていないようだ。

 

 

「身のこなしのはやさ」は大切に

『自分を肯定して生きる プラグマティックな生き方入門』で学んだことの中のひとつに、『うまくいかないと分かった時点で、潔く方向転換し、違う角度からできることを探す「身のこなしのはやさ」は大切だ』がある。

5月はまだ中旬だが、この方法が身に沁みた。

たとえば、コロナ禍という外圧を利用し、きっかけにならないだろうかと考えた。

コロナ禍で、
ニューノーマルは「昨日の非常識」を「今日の常識」に変換する、もしくは対応することで行動変容が起きる。
「ココロが変われば、カラダも変わる。」を「カラダが変われば、ココロも変わる。」で実行し、カラダから健康を取り戻そうと考えた。

また、全く同じ環境にあるフリーランスの友人は、収入の多角化ということでFXを行っているが、僕は8年前に止めたアフィリエイトを始めようと準備した。

つまり、これまでのことの逆をしようと...。

1週間前から、アフィリエイトコミュニティに仮登録しメールが届くようになった。ここはしっかりしていると思い込んだ。登録を進めると、教材費という名目で数十万円が必要なことに驚いた。しかし、一旦決めたのだから何とかしようと思った。しかも、時間限定で明日の24時まで。

そこで、入金方法を調べているとクレジットカードによる分割方法があった。現状ではデビットカードしか持っていないが、同銀行ですぐにクレジットカードができることを知り申し込んだ。

ところが、その条件に携帯番号の登録が必要だった。随分前、新規につくった銀行口座なので固定電話で登録。慌てて携帯番号に変更手続きを行った。これが3日間掛かった。結局、教材費は購入できなく、しかも、教材の購入がアフィリエイトコミュニティの参加条件。運営者には参加断念をメールした。

ギリギリまで参加方法を探っていたので、断念したことはかなりショックだった。

それから、ネットで参加しようと思っていたアフィリエイトコミュニティを検索してみた。その結果は、「いい手法」や「詐欺まがい」があった。もし参加していたら、教材費に参加費、加えて次の教材費の購入が求められる。しかも、参加しようと思っていたアフィリエイトの手法は、広告を出稿するための広告費が加算される。

実際に参加していないので実態は分からないが、どこかでホットしている。おそらくアフィリエイトは、極一部の人たちが稼ぎ、ほとんどの新規参入者は辛酸をなめる。だから、「いい手法」か「詐欺まがい」なのかの判断は難しい。また、この時間限定の購入サイトの時計は、すぐにスタート時間に戻るそうだ。この辺もちょっと怪しい。

まさか、固定電話を携帯番号に変更することが、アフィリエイト再開するためのブレーキになるとは思わなかった。「ギリギリセーフ」で回避できたことは、付いているとしかいいようがない。

収入の多角化は、アフィリエイトでなく、これまでの方法に戻すことにした。
最初に戻るが、
『うまくいかないと分かった時点で、
 潔く方向転換し、
 違う角度からできることを探す
 「身のこなしのはやさ」は大切だ』
今日からまた始める。

 

プラグマティックな生き方を目指す_2

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このハトはどこへ...

想定外のことが起きる昨今、積極的に対応しているのか、やらざるを得ないのか、曖昧だが様々なシーンで行動変容が起きる。

また、ニューノーマルを「昨日の非常識」は「今日の常識」と変容ぶりを説明した人がいた。これまた曖昧だが、言い得て妙かなと思う。

プラグマティックな生き方を一言でいうと、
役に立つことだけに集中し、今できることを実践する

そして、山中司著『自分を肯定して生きる プラグマティックな生き方入門』で学んだことは、絶対に自分や自分の生き方を否定すべきではない。その考え方、拠り所、経験、弱さを大切にし、そのうえで、日本人的な考えとは異なる「プラグマティック」を、自分の中に「もうひとつ」の選択肢として、戦略的に自分の生き方考え方に取り入れ、多くの悩みに対処すること。

プラグマティックな生き方は、ノイラートの船に乗船した、3人で思考実験で行われた。Aさんは理想論、Bさんは現実論、Cさんは悲観論。プラグマティックな生き方はBさんだ。

ところが、これまで経験がなかった行動変容が起きようとしているとき、AさんもBさんもCさんも自分の中に登場する。ほんと面倒なことになる。

そこで、繰り返すことになるが、

日本人的な考えとは異なる
「プラグマティック」を、
自分の中に「もうひとつ」の選択肢として、
戦略的に自分の生き方考え方に取り入れ、
多くの悩みに対処すること。

これが、現状の悩みに対処する、
自分の答えとなる。

 

プラグマティックな生き方を目指す

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『自分を肯定して生きる プラグマティックな生き方入門』

想定外のことが起きる昨今、プラグマティックな生き方が必要だと思っている。プラグマティックな生き方は、ノイラートの船に喩えることで、分かりやすく説明できる。

出港してしまった船が、大海原で航行中に改修しなければならない状況になった。その船には3人が乗船している。放っておくと漂流し目的地へ着けないばかりか、船が壊れてしまい、浸水し沈没する恐れがある。

さて、3人はどう考えるのか、どう対処するのか。

Aさんは理想論:一刻も早く船を港につけ改修する。つまり、100%船を直し切ることが大切で、そうでなければ、また同じ状況に陥るかもしれない。今の視点が全くない理想論。

Bさんは現実論:とにかく船を浮かばせていなければならないことが先決問題で、できる範囲で修理を始める。現実の制約の中で、ちょっとずつ直して行くしかない。「今、ここ」の視点で捉え、何ができるか。

Cさんは悲観論:そんなことをしたって、単なる応急処置でしょ。全然根本的には直っていない。そして、もう終わりだ、どうしよう...。沈みかけている船では、論外。

プラグマティックな生き方は、「役に立つ」ことだけに集中すること。つまり、Bさんの考え、対処方法だ。

ノイラートの船の状況の場合、理想論や観念論、または諦めは何の役にも立たない。出港してしまった船なのだから、大改修はできなく、「今、ここ」の「現状を改善する」ことで、問題に取り組むこと。また、高い自己肯定感と、プラグマティズムの親和性は関連があり、低い自己肯定感は様々な弊害をもたらす。「できる」のに「できないと」と思ってしまうこと。高い自己肯定感はポジティブになり、ノイラートの船を沈ませないためにも、「今、ここ」の「現状を改善する」ことに集中できる。つまり、少しずつ努力し改善することによって、自分の理想とする状態に高めていく生き方なのだ。

プラグマティックな考え方を、定義付けすると

自分自身の判断で、自分にとって「役に立つ/意義がある」と思う生き方を希望し、その希望の実現のために「今、ここ」でできることを確実に実践し、少しずつでも自分を理想の状態に高めていく生き方/考え方のこと。

また、絶対に自分や自分の生き方を否定すべきではない。その考え方、拠り所、経験、弱さを大切にし、そのうえで、日本人的な考えとは異なる「プラグマティック」を、自分の中に「もうひとつ」の選択肢として、戦略的に自分の生き方考え方に取り入れ、多くの悩みに対処する。

そんな生き方/考え方は、山中司著『自分を肯定して生きる プラグマティックな生き方入門』で知った。とてもいい本だと思う。

 

まずはスコア表から、メタ物語を1ミリでも進めよう

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現状での卓球用のスコア図

在住区の新型コロナワクチン接種予約が始まった日、予約をWEBで行い、妻と僕は18:30ころやっと1回目と2回目の予約が取れた。ところが、1分ぐらいのタッチの差で、1回目の接種会場で時間は15分間ズレた。2回目の接種は、同会場は取れなく別会場で、しかも妻と僕は14日間も間隔が空くことになった。

激しい副反応は起きないと思うが、もしものことを考え、1・2回目とも夫婦同会場・同時刻を選択したかった。1回目の接種が何事もなく終われば、2回目はそんなに心配する必要がないかもしれない。

こんな状況下で、自分自身がコントロールできること、できないことをハッキリさせた方がいい。予測できなかったりそのまさかの刺激に、いちいち反応しているとそれだけで疲れてしまう。だから、自分自身でコントロールできることを選択し、少しでも自分自身に役立つことや、もっとも興味があることからスタートする。

まずは、メタ物語を手がかりに

コロナ禍でここまで我慢をしていたので、中途半端にクラブ活動を始めたくない。だから、2回目のワクチン接種から1週間ほど経ってクラブ活動を始めたい。そうなると練習再開は7月中旬になる。もうほとんど我慢の限界に達しているが、練習ができない間、ストレッチと僕のメタ物語(「(仮)勝敗に関する分析と作戦」)を手がかりに、興味があることから進めたい。

現状で、理想的にはストレッチ中心にカラダをほぐし、しなやかな筋肉をつくり動けるカラダづくりを目指す。
また、この期間をチャンスと強引に捉え?卓球の試合動画を見ながら「(仮)勝敗に関する分析と作戦」を実行に移す。
そのために、まず卓球用のスコア表(Excelで制作)をつくることからスタートし、できるだけ、パレートの法則(80:20の法則)が検証しやすいものにする。
現状での卓球用のスコア図を描いている。ここから考え始めよう。

ちょっと、先が思いやられるが、
メタ物語を1ミリでも前に進めよう。

 

予想通に、つながらない

 

f:id:imyrepo:20210506160039p:plain連休が明けると
コロナワクチン予約を9時ごろ始める。
現在、16時。

いつになったら、予約できるのだろう?
こういう予想は、なぜか当たる。
こまめに、アクセスするしかないのか。

 とにかく早く済ませたい! 

18:30 コロナワクチン予約が完了した。