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66歳、僕のこれかを、い〜い加減に楽しもう

そして、投稿3回目は僕が面白いと思うこと

小さくて旧式のエンジンを備えているが、推進力は時代の風を頼りに帆走するしかない。もう一つの頼みの綱は通信手段で新しくセットした。一時期、海図がない航海がいわれていたが、実は目的もしかっりしていない曖昧な出帆なので、当然だが、約束された(予定調和?)目的地もない。だから、後悔もしないだろうと考えている。そんな気楽な気分で、雑記をメーンに、

僕のこれかを、
い〜い加減に楽しもうと考えている。

 僕の趣味は、卓球&飲みニケーション。映画や美術を見ることや音楽を聴くことなど。
この趣味が約2年間ほど難しかった。

卓球は、地元のクラブに所属していて、卓球(ヘボコーチ)&飲みニケーションを週1回行っていた。卓球ができなくなったことは、ホント様々なことに影響している。現在、ストレッチジムに通いはじめ、トレーナーに筋トレとストレッチの違いを教わった。なかなか興味深く面白い。そうなんだ。

映画は、ほとんどプライム・ビデオで、昨年は98本見た。
1本目は「彼女が目覚めるその日まで」から始まり、98本目は「ショーシャンクの空に」。映画はノンジャンルで見ている。たまに感想文をブログにあげた。僕にとって映画は新しいとか古いとかの区別は余りなく、初めて見る映画はすべて「封切りの作品」で新鮮な気持ちで見ている。だから、面白い。

絵は、ほぼ六本木か上野のお山へ。毎年10回ぐらだろうか。
昨年は箱根の「ガラスの森の美術館」のみ。これからは現代アートも見ようと思っていて、コロナ禍が落ち着いてから、まずは「東京都現代美術館」を予定している。
絵を見ることは、視覚的に非日常やこれまでにないものの見方を体験させてくれる。ここが、面白い。

音楽は、僕の年代で尾崎豊のファンの人も多いと思うが「六十六歳の地図」や、アンジェラ・アキ「手紙~拝啓 六十六の君へ~」のリクエストを夢想し面白がっている。最近よく聴く曲は、大沢誉志幸「そして僕は、途方に暮れる」から、あいみょん「ハルノヒ」にシフトした。

決して読書家ではないが、デスクトップには、NHK心の探究「菜根譚」、多湖輝著「曖昧力」、末永幸歩著「13歳からのアート思考」。そして、これまた影響を受けそうな、堀井憲一郎著「いますぐ書け、の文章法」。堀井憲一郎さんは『本気で読者の立場に立とう』や『文章はサービスである』などなど、これまでの文章(ブログ)を書く意識を変えようと提案している。これが微妙で理解不足なのか、まだ面白いとは...

また、「菜根譚」は12本のカセットテープと講師蒲田茂雄さんの副読本がセットになっていて、丁度2000年ころに購入した。テープを再度聴くために、つい最近ポータブルなカセットデッキを購入。最初に学んだことは「足ることを知る」ことだった。

 僕が面白いと思うことは、
どちらかというと他力本願が多い。
ただし、面白いと思う気持ちは、
それなりの努力も必要と感じている。

昨日、待ちに待った「新型コロナウイルス ワクチン接種券」が届いた。
今日は、レギュラーの印刷入稿がある。

それでは また...

 

ブログって、「イマジナリーフレンド」への通信手段?

いきなりだが、もうブログは止めようと思っていたが、はてなブログの「思いは言葉に。」と「曖昧力」に出合い、またブログを書こうかなと考え始めた。

ブログは13年前、とても経済的に困ってアフィリエイトによる収入も目指した。仕事はフリーランスのグラフィックデザイナーで、今も昔もよくある話だと思うが、あまりにも1カ所のクライアントに集中しすぎてしまった。集中することは、いいことも悪いこともあるが、倒産という最悪の事態が起きた。つまり、13年前に仕事も収入もゼロとなる。フリーランスにとって、とんでもないことでこんなに恐ろしいことはない。

そんな状況で、アフィリエイトブログを始めた。アクセス数は伸びても収入の確保は全く振るわなかった。しかし、ラッキーなことに本業が少しずつ回復を始めた。

当然13年間でいろんなことがあったが、13年間のブログを自分なりに分析した。

 

その結論は

僕にとってブログとは、
「イマジナリーフレンド」への
通信手段だった。

 

「イマジナリーフレンド」をご存じの人もいると思うが、アンネ・フランクリンの日記を紹介すると分かりやすい。アンネは日記に「キティ」と名前を付け、友人に語りかけるよう形で記した。アンネは日記を擬人化することで、過酷なストレス状態から抜けだそうとしたようだ。

このような現象を、「イマジナリーコンパニオン」あるいは「イマジナリーフレンド」というふうに心理学では呼ぶ。想像上の友人や空想の友人のことです。
だから、僕は「ハンドル名=想像上の友人」を付け、ブログを通信手段として、様々なことを話しかけながら、過酷なストレス状態から抜けだそうとした。そして、いまだに続いているのが「サバイバルすべし」。

また、こんなことも思い出した。

昔々、『カモメのジョナサン』が流行っていた頃、アメリカのベストセラーで『ベスト フレンド』という黒表紙の薄い本もあった。内容は、精神科医が、患者の「もう一人の自分」とコミュニケーションをとらせる手助けを行うことによって、自分自身で直していくという治療法の話。

「もうひとりの自分」とは、誰にでも経験があると思うが、何かを悩んだり決めかねているとき、どこからともなく『止めた方がいいよ、とか、やった方がいいよ』の声が聞こえてくることがある。この声は紛れもなく自分自身の声で、そして、もっとも私を知っている。解決するとその存在は、不思議なことにスッといなくなったり、忘れてしまう。

大袈裟な話になってしまったが、おそらく「イマジナリーフレンド」「もうひとりの自分」は同一人物で、13年間続いたブログという通信手段を一休みすることにした。

つまり、その任を終えた。

ブログをYouTubeで検索すると、稼ぎ方が多い。
僕は、こんなこともあるって伝いたい。

さて、これからどうしよう。
とても曖昧だが、とりあえず新たな船で出帆した。
あとは、できることをやるしかない。

 

いま、「曖昧力」という知恵

何が起きるか分からない時代で、課題を抱えながら着地点を求めるがなかなか見つからない。だから、そんな時には、日本人の知恵である「曖昧力」に頼ってみたい。つい最近ネットで「曖昧力」を知り、2008年2月26日 第1刷発行の多湖輝「曖昧力」を取り寄せた。西欧的な二元論で白黒をハッキリさせることは難しいが、むしろ「曖昧力」は現代を乗り切るための知恵がありそうだ。

まだ読みたてで曖昧な理解が多い。
たとえば、今夜のお月さんを見ると、朧月でぼんやりとかすんでいたとする。
13夜それとも15夜?...月齢は?
ところが、

曖昧」でぼんやりとしてはっきりしないが、
その意味以上に、

人は直感的に自然の美しさを感じる。
「曖昧力」のひとつの知恵だろうか。

 このブログは、雑記ブログと若干の特化ブログを目指します。
また、以前書いていたブログも編集して載せてみたい。

はてなブログの大海へ
初出港する。