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66歳、僕のこれかを、い〜い加減に楽しもう

ブログって、「イマジナリーフレンド」への通信手段?

いきなりだが、もうブログは止めようと思っていたが、はてなブログの「思いは言葉に。」と「曖昧力」に出合い、またブログを書こうかなと考え始めた。

ブログは13年前、とても経済的に困ってアフィリエイトによる収入も目指した。仕事はフリーランスのグラフィックデザイナーで、今も昔もよくある話だと思うが、あまりにも1カ所のクライアントに集中しすぎてしまった。集中することは、いいことも悪いこともあるが、倒産という最悪の事態が起きた。つまり、13年前に仕事も収入もゼロとなる。フリーランスにとって、とんでもないことでこんなに恐ろしいことはない。

そんな状況で、アフィリエイトブログを始めた。アクセス数は伸びても収入の確保は全く振るわなかった。しかし、ラッキーなことに本業が少しずつ回復を始めた。

当然13年間でいろんなことがあったが、13年間のブログを自分なりに分析した。

 

その結論は

僕にとってブログとは、
「イマジナリーフレンド」への
通信手段だった。

 

「イマジナリーフレンド」をご存じの人もいると思うが、アンネ・フランクリンの日記を紹介すると分かりやすい。アンネは日記に「キティ」と名前を付け、友人に語りかけるよう形で記した。アンネは日記を擬人化することで、過酷なストレス状態から抜けだそうとしたようだ。

このような現象を、「イマジナリーコンパニオン」あるいは「イマジナリーフレンド」というふうに心理学では呼ぶ。想像上の友人や空想の友人のことです。
だから、僕は「ハンドル名=想像上の友人」を付け、ブログを通信手段として、様々なことを話しかけながら、過酷なストレス状態から抜けだそうとした。そして、いまだに続いているのが「サバイバルすべし」。

また、こんなことも思い出した。

昔々、『カモメのジョナサン』が流行っていた頃、アメリカのベストセラーで『ベスト フレンド』という黒表紙の薄い本もあった。内容は、精神科医が、患者の「もう一人の自分」とコミュニケーションをとらせる手助けを行うことによって、自分自身で直していくという治療法の話。

「もうひとりの自分」とは、誰にでも経験があると思うが、何かを悩んだり決めかねているとき、どこからともなく『止めた方がいいよ、とか、やった方がいいよ』の声が聞こえてくることがある。この声は紛れもなく自分自身の声で、そして、もっとも私を知っている。解決するとその存在は、不思議なことにスッといなくなったり、忘れてしまう。

大袈裟な話になってしまったが、おそらく「イマジナリーフレンド」「もうひとりの自分」は同一人物で、13年間続いたブログという通信手段を一休みすることにした。

つまり、その任を終えた。

ブログをYouTubeで検索すると、稼ぎ方が多い。
僕は、こんなこともあるって伝いたい。

さて、これからどうしよう。
とても曖昧だが、とりあえず新たな船で出帆した。
あとは、できることをやるしかない。